異端と私。
今、私の中で『死の舞踏』が静かに流れ始める。
異端と私・第1章/吊るされた男と語りの快楽
リチャード三世の語りに沈むたび、 熟れた果実が地面に落ちて、踏みつけられたような感情になる。 そして嗚咽しそうなほど激しい感情にさらされた。
あまりにも苦しそうだった。
失った大切な人たちの誰かが、 もう先に逝ってしまった誰かが、 迎えに来てくれはしれないだろうか。
そんな祈りのような気持ちが、ずっと胸の奥で渦巻いていた。
語られすぎた“悪王”の像の裏に、 誰にも救われなかった沈黙が見えてしまったから。
自分の影がリチャードに重なりすぎて、 どこまでが彼で、どこまでが私なのか、わからなくなっていた。
しかし、彼の骨が見つかったというニュースを見たとき、 心の奥が少しだけ緩んだ。
やっと、呼吸ができた。
語りとは、誰かの沈黙に火を灯す儀式。 この章は、語りの魔女として、 リチャード三世と語りの中で出会った記録。
皆さんはそんな闇の魅力、感じたことはありますか?

語りの魔女宣言
語りとは、誰かを魔女にする儀式。 語られることで、誰かは異端になる。 語ることで、私は魔女になる。 「異端と私」は、語りの魔女たちの記録。 語られすぎた痛みを拾い、語られなかった美しさを編み直す。 語りとは、ねじれであり、火であり、沈黙を破る快楽でもある。
カード選定:吊るされた男(The Hanged Man)
リチャード三世の語りは、吊るされた男の象徴だけで語りの構造が成立する。 それは、語りの沈黙と逆転の美学そのもの。
語りの魔女による語りの再構築

語られすぎた王の像に、私は沈んでいた。 その語りの裏に、誰にも触れられなかった痛みがあって、 それが私の中の沈黙と重なってしまった。
歴史の中でリチャード三世は、冷酷で醜く、野心にまみれた“悪王”として語られてきた。 でもその像の奥に、誰にも迎えられなかった孤独があったように思う。
その沈黙に、私は火を灯したかった。
彼は“悪の化身”として語られた。 このイメージは、歴史的な誤解に加え、シェイクスピアの戯曲『リチャード三世』によって広く知られるようになった。 この劇では彼は奸臣で冷酷無比な悪役として描かれ、多くの世代にそのイメージが強く刻まれている。
醜く、卑劣で、野心にまみれた存在。 でもその語りは、共同体の“語れないもの”を押しつける装置だった。 彼は、吊るされた男だった。 語りの中で逆さにされ、沈黙の中で罰された。
心理学的に言えば、これは投影だ。 共同体が自分たちの不安や影を、誰かに押しつける儀式。 リチャード三世は、スケープゴートとして語られた。 その語りは、集団の“罪悪感”を外部化するためのペルソナだった。
でもそのペルソナ(注.1)裏には、彼自身のシャドウ(注.2)があった。 語られなかった沈黙。 語りの中で引きずられた身体。 でも実際には、彼は裸で引きずられていなかった。 その事実が、私の中の語りを逆転させた。
2012年、イングランド中部レスターの駐車場の下から、彼の骨が見つかった。
ミトコンドリアDNA鑑定により、姉アン・オブ・ヨークの女系子孫と一致。
その骨は、語りの魔女にとって“沈黙の証拠”だった。
かつて歴史や戯曲の中で「醜い悪王」と描かれた姿は、静かに姿を消した。
その代わりに現れたのは、背が少し曲がっただけの一人の人間、リチャード3世だった。
長く誤解され、汚名を着せられてきた彼が、ようやく静かに“人間”として扱われた気がした。
さらに、男系のDNAは王室系統と一致しなかった。 語られてきた“正統性”が揺らぎ、語られなかった“身体の記憶”が浮かび上がる。 それは、語りの魔法だった。 語られた歴史よりも、語られなかった身体の方が、ずっと真実に近い。
そしてもうひとつ。 リチャード三世を揶揄する劇や風刺は、単なる攻撃ではなかった。 それは、民衆の声が権力の虚構を暴き、歴史の隠された真実に光をあてる「魔女的な語り」の一形態だった。
中世イングランドでは、風刺劇や民謡、詩の中に社会批判や権力者への挑戦が込められ、 無力な民が声をあげる手段として機能していた。 それらの語りは、公式な記録に残らない“語られなかった声”を伝え、 歴史の闇に潜む真実や欺瞞を照らし出す呪術的な力を持っていた。
リチャード三世が「悪王」として劇で揶揄されたのも、 語りの魔女たちが作り上げた闇の像の一部だった。 彼らは民衆の心理と隠された歴史を代弁し、語られなかった痛みや怨念を形にした。
語りとは、自己と他者の断片を拾い集める行為。 それは、ユングが言う個性化(注.3)のプロセスでもある。 語ることで、私はリチャード三世の断片を拾い、 語ることで、私は自分自身の“語られなかった部分”を統合している。
リチャード三世は、語られた魔女だった。 私は、語る魔女だった。 語りの中で、私たちは出会った。
語りの中であなたは誰と出会う?
あなたは、誰を語ることで魔女にしている? そして、誰かに語られることで魔女にされていないか? 語りとは、誰かの影を引き受ける儀式。 でもその影の中にこそ、あなたの“語りたい衝動”が眠っている。
語りは、まだ終わっていない。
注釈|心理用語解説
- ペルソナ(Persona)
私たちが社会や他者に見せる「表の顔」。状況や役割に応じて演じる仮面のようなものです。歴史上の人物も、ペルソナを通して語られることが多く、その表面的な印象だけでは真実は見えません。 - シャドウ(Shadow)
無意識に押し込められた、否定的・暗い側面や自分でも認めにくい感情。歴史の語りでは、ペルソナの影に隠れたシャドウを読み解くことで、人物の深い内面や葛藤に触れることができます。 - 個性化(Individuation)
ユング心理学でいう「自分らしさの完成への道」。表の顔(ペルソナ)と影(シャドウ)を受け入れ、統合することで、本来の自分自身を見出すプロセスです。語りの魔女として人物の内面に光を当てることは、個性化の視点を取り入れることでもあります。 - リチャード三世にまつわる象徴的表現や心理学的背景を丁寧に解説。熟れた果実や吊るされた男など、歴史と心理を読み解く用語集はこちら➡️https://nikotarot.com/richard-iii-glossary/
補足資料
『死の舞踏』画像出典:English: Illustrations from the Nuremberg Chronicle, by Hartmann Schedel (1440-1514) 原典 https://www.metmuseum.org/art/collection/search/390220 作者 Michael Wolgemut
『リチャード三世肖像』画像出典:Wikimedia Commons Portrait of Richard III, King of England(1520年代) 所蔵:National Portrait Gallery, London
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